砕け散って埃がかかった鏡。随分前に壊されたのだろう。 と、鏡がゆれたと思った瞬間、彼女が立っていた。そして脇には綺麗な大鏡…。 「君は…一体なんなんだい?」 いろいろ聞きたかったはずなのに、なぜか他の言葉がうまく言えなかった。 僕の質問に彼女はふっと微笑むと、 「私はね…ここの鏡に魅入られてしまったの…さっきの声はこの鏡の心…」 と答えた。 「魅入られた?」 彼女の話では、この場所は新堂と二人の秘密の場所だったらしい。 噂で、昼間は割れている鏡が夜になると元のきれいな鏡に戻るという話を聞いて 、二人で見に行ったそうだ。 新堂には見えなかったが、彼女にはとても美しい鏡に見えたそうだ。 「それから私は夜になると旧校舎の鏡を見に行ったわ。そのうちに、この鏡に 好かれて私は…死んでここの鏡の住人になったの」 僕は何も言えなかった。何か言おうとしたけれど言葉が出てこない…。 ようやく言えた言葉は… 「じゃあ、どうして全く関係ない僕を助けてくれたんだ?」 僕の言葉に、彼女の闇の部分が答えた。 「…奴らは…俺の眠りを妨げようとした……だから許さなかった…私たちは崩 れていく旧校舎の中で静かに眠っていたいだけなの…」 旧校舎が無くなる。それは、彼女に二度と会えなくなるということだ… 彼女は優しく微笑むと、僕の頬にかるくキスをした。 冷たくて悲しくて優しいキス。 「私が消えた後、旧校舎が無くなっても涙なんか流さなくていいわ。ただ時々 思い出してくれればいいだけ…」 なんだか悲しくなって、うまくしゃべれない。 なにかしゃべらないと彼女が消えてしまいそうで怖いのに…。 ようやく落ち着いて彼女のほうを見ると、元の壊れた鏡だけがあった。 彼女は消えていた。姿の見えない彼女の声だけが聞こえた。 「もうすぐ夜が明けるわ…。家に帰りなさい」 僕はもう一度、彼女のいた鏡に向かって言った。 「絶対忘れないよ…君のこと絶対に…」 彼女の声が小さく僕の心に響いた。 「…ありがとう。さようなら…」 僕は後ろを振り返らずに旧校舎を後にした。 僕は改めて、自分の心の鼓動を感じた。僕は生きている…生きているんだ! さあ…家へ帰ってゆっくり眠ろう…。 〜エピローグ〜 …彼は、疲れた表情をして学校を後にした。 できればこのことは早く記憶の彼方に埋もれて欲しい…さあ…私も眠ろう。 彼女が鏡の世界へ戻った時、一人の男が旧校舎へ入ってきた。 彼は傷だらけで歩いている。特にわき腹の大きな傷はとても深く、急所は外して はいたが致命傷には違いない。意識を手放しそうになるのを懸命にこらえ、彼は 最後の力を振り絞って階段を上ると鏡の傍に座り込んだ。 「…恵美…ごめんな…ずっと一人っきりにさせて…これからはずっと俺がいて やるから…だから…姿をみせてくれよ…」 そのとき、鏡が揺れたかとおもうと彼女が現れた。 彼女は血にまみれた彼を見ると、服が汚れるのも構わずに抱き寄せた。 「…新堂さん…何で…こんな…?私のことは忘れて…っていったじゃない…私 達はもう住む世界が違うのに…」 彼女は泣きながら彼に話し続けた。彼はフッと笑うと、 「…たとえおまえが…悪霊…だって構うもんか。それなら俺も…悪霊になって やる…そうなったら…ずっとおまえと…一緒にいら…れるな…」 と、そっと彼女にキスをした。 血生臭い、けれど愛が込められているやさしいキス。 「…ん」 彼女も心の底では、ずっと彼を待っていたのかもしれない。 ずっと欲しかったキス。 「…最初からこうしていれば良かったんだな…」 そう小さく呟くと、彼は目を閉じやがて動かなくなった。 彼女が涙をぬぐった時、鏡が彼を自分の世界へと迎え入れた。 それから… あのことは結局、変質者の仕業ということで片付けられた。 僕は相変わらず普通に過ごしている。 変わった事といったら、新聞部の部長が変わったのと、旧校舎がなくなったこと だ。僕は旧校舎が壊されるにあたって、最後に彼女に会いに行った。 といっても、彼女の自宅に行っただけだが。 彼女の写真を見たとき、僕は初めて『恵美』の本当の笑顔に出会った。 |